日時:2011年11月04日(金) 10:00~14:30 参加者:12名
JR鎌倉駅午前10時集合。1名が現われず、電話で確認したところ日を間違え在宅。急遽、遅れてもいいから参加をするように指示したところ、第16番札所九品寺参詣中にタクシーで駆けつけ、一行に合流した。ここで参加者全員がそろった。後半、残りの札所へと巡りました。今回の参加者は第1回からの参加者が中心となり、仲間意識が生まれ、固定されたメンバーとなりつつある。それでは巡礼各札所を紹介します。
●第十一番札所 浄土宗 延命寺
第五代執権北条時頼夫人が建てたといわれる寺。運慶作と伝えられる「地蔵菩薩像」は夫人の身代わりとなったことで夫人の守護仏とされている。本尊「阿弥陀如来像」は、圜慶寺の閻魔大王像掘ったあまり木で作られたことから「木余りの像」、また、予定よりも早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれている。
★伝説!身代わり地蔵★
ある日、時頼夫妻が「負けた方が裸になる」という賭けをして双六をしていた。負けそうになった夫人が地蔵菩薩に念じたところ、裸の地蔵が双六盤に現れ、夫人に身代わりになったという。そのため裸地蔵と呼ばれている。
延命寺の「裸地蔵は」は、鶴岡八幡宮の弁財天の裸像と共に貴重な彫刻で、裸像に衣服を着せることによって完成をする。大正12年関東大震災で伽藍の下敷きになってしまったが、復元されたとのことです。
●第十二番札所 時宗 教恩寺(ぎょおんじ)
静かな住宅街のなかに、こじんまりとした寺。以前この地に光明寺の末寺善昌寺があったが、廃寺となってから、1678年(延宝6),貴誉上人によって材木座の光明寺境内にあった教恩寺が移築されたという。教恩寺は小田原、北条氏康が建立したといわれる。参拝をした時、寺の奥様から陀如来三尊をお見せしますからと本堂の扉を開けてくれて貴重な本尊を 見ることが出来案した。感謝。
●第十三番札所 時宗 別願寺
別願寺は、鎌倉公方代々の菩提寺であり、鎌倉の時宗の中心として栄えてきました。もとは真言宗の寺で能成寺と言ったが、1282年(弘安5),住職であった公認が一遍和尚に帰依し、名を覚阿と改めて時宗に改宗した。同時に寺の名を別願寺とした。境内には、室町幕府に対して「永享の乱」を起こした足利持氏(四代鎌倉公方)のものとされる供養塔(宝塔)には、持氏の怒りを鎮めるため四方には、鳥居の浮彫利がほどかせている。確認をしました。
●第十四番札所 時宗 来迎寺
時宗来迎寺の開基は、建久5年(1194)源頼朝が己の鎌倉幕府の基礎となった三浦大介義昭公の霊を弔うため、真言宗能成寺を建立した時に始まる。鎌倉三十三観音菩薩札所十四番で子育て観音をお祭りしてある。この観音様に念ずれば、必ず知恵福徳円満な子供が授かるとして、昔から多くの信者に信仰されています。
●第十五番札所 時宗 向福寺
開山の一向は、時宗開祖の一遍同様に各地を遊行し、踊念仏によって教えを広めた。大正12年の関東大震災によって、文政年間に建てられた本堂と表門が倒壊してしまった。現在の本堂は昭和5年に再建されたものである。
本堂の阿弥陀三尊像は南北朝の作といわれ、聖観音像は鎌倉巡礼十五番札所となっています。残念ながら本体は閉じられていて見ることが出来ませんでした。残念です。
●第十六番札所 浄土宗 九品寺(くほんじ)
九品寺は新田義貞が京より招いた風航順西が開山した。この地は義貞が鎌倉攻めの際、本陣としたところとされ、北条家の戦死者を弔うために建立された。鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」と本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられています。「内裏山」は見ることが出来た。
●第十七番札所 真言宗 補陀洛寺
京都の仁和寺末寺、現在は京都大覚寺の末寺といわれ開山は文覚上人、開基は源の頼朝と伝えられている本尊は十一面観音像。もとの本尊は薬師如来。日光、月光ほか不動妙がある。明治初年の火災でほとんど焼けましたが、其の時誰も出した覚えはないのに、仏像類は全部無事だったという。大正12年震災で全壊し、現在の本堂は大正13年の建立である。
●第十八番札所 浄土宗 光明寺
この寺は、天照山蓮華院光明寺といい、浄土宗の大本山です。創立は鎌倉時代寛元元(1243)年と言われています。寺が開かれたのは浄土宗三祖然阿良忠です。宗祖は法然上人で、二祖は久留米の善導寺を開かれたお弟子の聖光上人という方です。良忠上人は石見國(島根県)に生まれ、深い学問を達成された後、三十八歳で聖光上人のお弟子となり、法然上人の教えを受け継がれて浄土宗の三祖になられたという。浄土宗に関する書物を残され、弘安十年(1282)年七月六日、八十九歳の高齢を持って入寂されました。その後、生前の功績が認められ伏見天皇から「記主禅師」の諡号を賜りました。良忠上人は鎌倉第四代の執権、北条経時公の帰依を受けてこの光明寺を開かれたといわれている。大変大きな寺です。
●第十九番札所 浄土宗 蓮乗院
はじめは真言宗だったということでした。光明寺がこの地に移されてから、子院となり蓮乗寺と名を改められたという。良忠上人が光明寺落生までここに住居して建築を督励したといわれ、光明寺の新住職になるとまず、蓮乗院に入ってから光明寺本山方丈に入るならわしになっています。蓮乗院の本像は阿弥陀如来立像です。仏像は「正安元年(1299)で作者は「大仏師播磨法橋宗円」という造仏銘が胎内に残されていたという。鎌倉時代の銘がはっきりとしている仏像は貴重な文化財と言われています。本堂の花鳥図の襖の絵や、極楽浄土を思わせる天上の絵は見事といれていますが、残念ながら今回は見してもらうことが出来なかった。いずれは見させてもらいと思っています。
●二十番札所 浄土宗 千手院
光明寺が仏教の最高の学問を修めるところである大壇林だった時、寺僧寮であり、各地から学僧が集まったところと伝えられる。江戸時代には学僧が減ったため、近所の子供たちに読み書きを教えるようになった明治15~26年の間は「桑揚げ小学校の」の教場にとなり、材木座の子供たちの学び場となった。
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