日時:2011年10月18日(火) 8:00~14:00 参加者:6名
場所:港区三田、芝公園、増上寺
本日は、イベントに関す限り参加者が6名とは大変さびしい限りでした。が、コースは歴史的意義のある史跡巡りです。参加者はぜひともこの機会に港区の歴史的文化財を訪ずれ、見学することによって貴重な体験をしたいと意気込みが強い方の参加者であった。コースは次の通りです。ご紹介します。
●西郷隆盛・勝海舟の会見地跡
現在は三菱自動車の本社の敷地になっています。当時は島津藩蔵屋敷であった。敷地の隅っこに碑があります。碑には慶応4年(1868)3月13日・24日、官軍の江戸城総攻撃直前、両雄の談判が行われ、百万の江戸市民を戦火から救い、江戸城無血開城が実現しました。会見は13日には薩摩下屋敷(品川駅前パシフィックホテル)で、14日には薩摩蔵屋敷であったこの場所で行われたといわれています。
●薩摩屋敷焼き打ち事件の跡
現在は中央信託三井銀行の建物が建ている。
慶応3年(1867)12月25日未明、江戸の治安維持にあたっていた諸藩の兵二千名余人は、幕府を兆発するため略奪などを行いました。幕府は江戸市民を不安におとしいれた浪人がいたという薩摩上屋敷を攻撃し、炎上させました。これが明治維新の動乱の発端となった戦闘です。
●芝東照宮
元和元年(1617)徳川家康お増上寺内の安国殿に祀ったのをはじめとする。社殿右側にある大きなイチョウは(都指定記念物)は寛永16年(1639)三代将軍家光が植えたといわれています。また社殿には天明5年(1785)頃に制作された徳川家康坐像(都指定有形文化財)が安置しています。
本殿中央に座している家康像がみることができます。
●丸山貝塚
芝公園内の海抜4メートルの緩やかな斜面に形成された縄文時代後期の貝塚があります。港区の説明によると古墳の築造などで破壊を受けている部分が多いようであるといわれています。
●丸山古墳
「東京のどん真中に古墳があるの」と参加者の人たちが不思議がっていましたが、まさしく古墳があるのです。長さ112mの都内最大の前方後円墳で、5世紀初めの築といわれています。また、隣接して7世紀の小円墳10基がありました。古墳後円墳の頂には伊能忠敬の測地遺功表があります。
●宝珠院の閻魔大王
死者の審判する神である閻魔の信仰は、鎌倉時代から庶民信仰として広まりました。ここにある像は貞亨2年(1685)の作で、中国の審判の服装し、左右に司命・司録の付官を従えています。窓腰に見ることが出来ました。余りにも怖い顔した像のため、目をそむける人がいました。
●普光観智国師墓(安蓮社・港区指定史跡)
増上寺12世住職源誉上人(観智師)は、天正12年(1584)に住職なりました。その在任中に徳川家の菩提寺になり、また関東18壇林を設けて浄土宗の基礎を固め、増上寺をその中枢に位置付けました。元和6年(1620)没。77歳。増上寺の中興の祖と仰がれています。なお、この安蓮社は歴代の増上寺の大僧上のお墓があります。同じ墓石が列をなして整然と奥へと連なっています。
●御成門
増上寺・御成道(日比谷通り)の北川、つまり、江戸城側に位置する門であり、将軍参詣の際に用いることから「御成門」と称せられ、明治25年に現在の御成門が移築されています。漆喰で塗り込めた太い部材を直線的に構成する形式は、江戸城の城門に類似するものといわれています。将軍参詣にふさわしい重厚な表現がされています。
●有章院霊廟二天門(国指定重要文化財)
第7代将軍家継の霊廟の総門であり、享保元年(1716)に第8代将軍吉宗によって建立されました。切妻造瓦葺の八脚門で、左右に広目天・多聞天の二天がまつられています。
●増上寺
慶長3年(1598)、現在の千代田区平河町あたりからこの地(芝)増上寺へ移転をしました。徳川家の菩提寺として栄え、第2代(秀忠公・正室江与殿)、第6代(家宣公)、第7代(家継公)、第9代(家重公)第12代(家慶公)静寛院和宮、将軍生母側室等が葬られています。今回は霊廟の中にあるお墓を見学することが出来ました。参加者のみなさんは大変感動をしておられました。
●廣度院表門及び連塀
増上寺三門から大門へ向かう通りには、増上寺、寺子院群が連続し、蓮塀と表門が連なる独特の景観を形成していました。それが現在に伝えるのが廣度院を宿坊とする大名の筆頭は安芸浅野家であることから表門の蟇股には浅野家の「違い鷹羽」の紋どころが彫刻されています。
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