イベント報告

JASSで行われたイベント活動を参加者・運営委員の方にリポートしていただきました。
楽しく充実したイベントの様子をご覧下さい。
2011年10月17日掲載 イベント実施報告一覧へ戻る

507 秋の武蔵国分寺から旧鎌倉街道を歩く

     
日時:201110月13日(木)   参加者:9名 

場所:国分寺市


当日は曇っていたが、時々薄日が差し、散策にはもってこいの天候であった。武蔵野台地の国分寺・史跡めぐりをしました。訪れた所をご案内します。

●お鷹の首(みち)

JR国分寺駅から歩くこと15分、通称は「お鷹の道」と呼ばれています。首(みち)は間違いのように見えますが、当時は首(みち)と紹介されています。お鷹の首(みち)はそもそも江戸時代寛延元年(1748)に国分寺市内村々は尾張藩徳川家のお鷹場に指定され、慶応3年(1867)に廃止されるまで村々の生活に多くの影響を与えていました。国分寺崖線の湧水を集めて野川に注ぐ清流沿いの小道はいつのころから「お鷹の道」と呼ばれるようになった。昭和47・48年に国分寺市が遊歩道として整備されました。現在でもその清流は澄んだ水が流れていて毎年蛍が飛び交っています。

●弁財天の池・真姿(ますがた)の池・湧水群(東京都指定名勝)

真姿の池は都内では青梅市の御岳山渓流とともに環境庁の「名水百選」に選定され、「お鷹の道、真姿の湧水群」の一部である。また東京都の都市計画国分寺緑化にも指定されています。

真姿の由来によると嘉祥(かいせん)元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が病気平癒祈願のため国分寺を訪れて、21日間参詣をすると一人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、この池で身を清めるようにいって姿を消した。そのとうりにしたところ、たちどころに病が癒え、元の美しい姿に戻った。

それから人々はこの池を真姿の池と呼ばれるようになったという伝説からきています。真姿の池は「新編武蔵風土記編」に「広さ二間四方許(ばかり)は池中の弧嶼(こうしま)に弁天の祠宇を置き、この池のもの田地へ灌ぐ」とあります。
(東京都教育委員会案内板記)

●武蔵国分寺・国分寺楼門(国分寺市指定重宝)

門は、米津出羽守田盛(通称内蔵助)の菩提寺として建立された米津(東久留米)の楼門を明治28年に移築したもの。国分寺境内の諸建築物とともに国分寺の変化を知る上で重建物と言われています。

●国指定史跡・武蔵国分寺跡

天平13年(741)の聖武天皇の命により、鎮護国家を祈願して創設された武蔵国分寺は、昭和31年以来発掘調査によって東西720メートル、南北550メートルの寺地中央北寄りの僧寺(そうじ)、寺域(360~420m四方)及び寺地南西の隅、尼寺域(推定160m四方)が明らかになり、福岡国分寺中有数の規模であることが判明しました。さらに、この中で寺地、寺域は数回の変遷があったことが確認されました。また僧寺では、諸国国分寺中、最大規模の金堂はじめ講堂、七重塔、鐘楼、東僧坊、中間、塀、地方建物、尼寺、では金堂(推定)、足坊等が調査されています。武蔵国の文化興隆の中心施設であった国分寺の終末は不明ですが、元弘3年(1333)の分倍河原の合戦で焼失したと伝えられています。(国分寺市教育委員会説明)

●市指定重要国命薬師堂  国指定重要文化財・木造薬師如来像

薬師堂に安置されている木造薬師如来像は平安時代末期、あるは鎌倉時代初期の制作と考えられていますが、作者不明で寄木造の漆箔仕上げで、座高は約191.5Cmある。かなり大きい。蓮華座に坐し、印相は右手が施無畏印(せむいん)、左手に薬壺(やっこ)をもっています。台座は及び光背は後代の捕作と思われています。薬師如来は、光、月光の両菩薩を脇侍とし眷届(けんとく)として十二神将を従えていますが、当国分寺の十二神将は、頭部の墨書から元禄2年(1659)の作であることがわかりました。

薬師堂は建武2年(1335)新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられている。その後享保元年(1716)に修復されましたが宝暦年間(1751~1767)に現在再建されたものと言われています。堂内正面の長押(なずし)には明和元年(1764)奉納された深見玄岱(げんたい)の筆になる金光明四天王諸国之寺の寺額がかけられています。この寺額は東大寺背大門の勅額を模してものと言われています。いつも思うのですがここでも薬師如来座像が見られないのは誠に持って残念なことです。

●国定指定史跡跡 七重塔跡

市教育委員会の説明書きによると。国分寺造営の詔に「造塔の寺は国の華たり」と象徴的に記されている塔は「金字金光明最勝王経」(きんじこんこうさいしょうおうきょう)を安置する国分寺の重要な施設でした。この塔は「続日本書紀」によって承和2年(835)に雷火で焼失し、十年後に男衾郡(おぶすはんぐん)(埼玉県比企郡)の前大統領(さきのたいりょう)(群の長官)壬生吉志福正がその再建を願い出て、許可されたことが知られています。昭和39年の発掘調査の結果、塔基壇が修復されていることや礎石の下に瓦片を大量に詰め込んでいることが明らかになり、このことが証明されました。
(国分寺市教育委員会の説明書)

●武蔵国尼寺跡

奈良時代中頃、聖武天皇の詞(みくとのり)により塵読国家を祈願する官立寺院として国分寺(僧寺)と合わせて国分寺尼寺が国ごとに建立された。尼寺の正式名所は「法華滅罪之寺」と定められた。あるところの「法華寺経」は女人成仏を説いており、尼寺の成立には女人救済を願う皇明后の意向が大きく働いたものと考えられています。

昼食は、国立駅近くの寿司屋さんで賑やかに懇談をしました。


お鷹の道入口
入口付近
お鷹の道
 
  弁財天の池・真姿の湧水群
 
名水百選の水源地 
  水源地
 
国分寺楼門全員集合写真
 
  武蔵国分寺
 
市指定重要国命薬師如来堂 
  武蔵国尼寺跡
 
尼寺跡全員集合 
  尼寺全景(中央武蔵野線高架)
 
   (運営委員 伊藤照男 記す)      イベント実施報告一覧へ戻る