日時:平成23年09月15日(木) 参加者:9名
9月「仲秋」の明月を過ぎると爽やかな秋風が吹く頃なのですが、今年はどうしたことか連日猛暑の連続である。この暑さに負けず、我々一行9名は元気に第五番札所から第十番札所まで巡りました。今回は特に休憩と水分の補給し、熱中症にかからないように心がけイベントを無事終えることが出来ました。コースは次の通りです。
●第五番札所 時宗 来迎寺
鎌倉の寺院としては大変珍しい民家風の寺である(1994年春新本堂落慶)。開山は時宗の開祖、一遍上人(1239~1289)と言われていますが一向上人とする説もある。
本寺の寺史ともに明らかではない。一向上人は一遍上人と全く同時代に全国を遊行し、踊り念仏によってその教えを広めた僧と言われています。参詣後、第六番札所瑞泉寺迄行くのにかなりの距離(約3Km)があり、汗をかきながら歩いた。うれしいことに落後者は一人もなかった。
●第六番札所 臨済宗 瑞泉寺
この寺は臨済宗円覚寺派で夢窓疎石がここを禅院に相応しい勝地として嘉暦二年(1327)に建立した寺。山号の錦屏山は、紅葉谷を三方の山が秋になると山が紅葉し、寺の背後に屏風のように広がるとことから名づけられたと言われています。テレビに度々紹介されてかなり有名です。寺の(由緒)によると夢窓疎石は京都の苔寺・西芳寺や天竜寺の庭園も、後に造っている。庭は中腹の鎌倉石の岩盤に庭の約束ごとである滝、池、中島等の全ての巧みにえぐって橋を架け、さらに水をためて滝として流す貯水池までも刻んだ岩庭と呼ぶにふさわしい庭園である。鎌倉期唯一の庭園として国の名勝に指定されている。また花の寺としても親しまれている。このあと第七番札所までバスで移動する。
●第七番札所 時宗 光触寺
本尊は国重文の阿弥陀菩薩立像である。脇侍として観音、勢至菩薩が立ちます。阿弥陀菩薩は現在修理中のため、代わりに聖観音菩薩が祀られています。本堂の中の物が見られず、誠に残念でした。お寺の伝えでは、開基は時宗開祖の一遍上人で、開山は作阿上人です。もとは真言宗のお寺でした。一遍上人が弘安五年(1282)に遊行の途上の鎌倉に入った時、作阿上人が一遍上人に帰依し、時宗に改めたといわれています。以来700年間、念仏道場として続いています。(寺の歴史)
●第八番札所 真言宗 明王院
明王院縁起によると、嘉禎元年(1235)
鎌倉幕府第四代将軍頼経により建立されたと言われています。将軍の発案によって建立された鎌倉市内に現存する唯一の寺院です。
幕府の鬼門除けの祈願所として、五大明王をお祀りしています。五大明王とは、中心の不動明、その周りに囲む大威徳明王、軍茶利明王(ぐんだりみよう)、降三世明王(こうざんぜみょうおう)、金剛夜又明王からなる五体の明王様の総称です。鎌倉幕府の最大危機、日本が初めて外国の脅威さらされた元寇のときにも明王院で異国降伏の法要がおこなわれた記録が残されているとのことです。見事に国難を救ってくださったご本像さまであります。鎌倉五大大明王をお祭りしているのは明王院だけですと言われています。残念なことですがここも本像が閉じられていて拝顔することが出来ませんでした・・・。
●第九番札所 臨済宗 淨妙寺
寺の(由来)によれば、淨妙寺は臨済宗建長寺派の古刹。文治四年(1188)に、源頼朝の忠臣で豪勇であった足利義兼が開設し、はじめは極楽寺と称した。開山は退耕行勇と伝えられている。行勇は始め真言密教を学んだが栄西の門下に入り臨済禅を修めた。頼朝や政子、実朝も帰依した高僧である。現在では総門、本堂、客殿、庫裡だけが残っている。足利尊氏の父、貞氏が中興開基で墓地に貞氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。本像は釈迦如来で、境内は国の指定史跡となっている。
大変美しい寺である。
●第十番札所 臨済宗 報国寺
最後の寺に辿りつく。暑のため顔や体が汗でぐしゃぐしゃであった。寺の由来によると報国寺は臨済宗建長寺派の禅宗寺院。この寺は、淨妙寺中興の足利貞氏の父、家時(足利尊氏の祖父)が開基。夢窓国師の兄弟子、天岸慧広(仏乗師)の開山で健武元年(1334)創建。永享の乱、(1439年に起きた足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃した悲劇の寺である。本尊は釈迦如来で市の重要文化財となっています。また裏庭には孟宗竹の竹林があり有名となってます。
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